小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャンと幅広く活動していた天才作家の中島らもさんのプロフィールです。
52歳で亡くなってしまった中島らも。学生時代のヒッピームーブメントに衝撃を受け、酒、たばこ、そして薬物にも手を出したりとかなりあぶない生活をしていたことで有名で、それらの経験とコピーライター時代に養われた文章の表現力、そしてひねくれたユーモアで書かれた小説は過激でもあり、きれいでもあり独創的で面白い作品が多いと思います(^^)
ではさっそく中島らものプロフィールを見て行ってみましょ〜!
プロフィール
生年月日 | 1952年4月3日 |
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死没 | 2004年7月6日(52歳没) |
出生地 | 兵庫県 |
身長 | 168cm |
血液型 | A型 |
職業 | 小説家 劇作家 随筆家 コピーライター ミュージシャン 俳優 |
ジャンル |
小説 |
中島らもについて
破天荒な生活で知られる中島らもですが、頭は良かったようで高校はあの名門進学校の灘中学校で、約150人の全合格者中8位という高成績で合格しています。
中学〜高校在学時にヒッピームーブメントに衝撃を受け、酒、たばこ、そして薬物。ジャズ喫茶に通うようになり、そこでたむろする人(フーテンと呼ばれる)たちとと共にアルコール、有機溶剤、鎮静薬・睡眠薬、大麻に耽溺。文学論や思想について語るなどして過ごしていました。今の時代では考えられないですね(^^;
このとき色々と経験しているようですが「あまりに憂うつだったので、無意識に記憶を消し去ろうとしている」と話しています。
それから広告制作の営業万時代を経てコピーライターの仕事をするようになります。1984年から朝日新聞大阪本社版日曜版「若い広場」で、独特のユーモアを交えた人生相談コーナー『明るい悩み相談室』の連載が始まりました。こちらは本にもなって出ていて独特のユーモアでの切り返しが面白いのでぜひ読んでいただきたいですね(^^)
小説を本格的に書き出したのが1986年ごろからで、1991年には「今夜、すべてのバーで」で第13回吉川英治文学新人賞、第10回日本冒険小説協会大賞特別大賞を受賞しています。
そして1993年にはこちらも人気のあった「ガダラの豚」で第47回日本推理作家協会賞を受賞しています。こちらは3部作となっており、長いかと思いますが、
”アフリカにおける呪術医の研究でみごとな業績を示す民族学学者・大生部多一郎はテレビの人気タレント教授。彼の著書「呪術パワー・念で殺す」は超能力ブームにのってベストセラーになった。8年前に調査地の東アフリカで長女の志織が気球から落ちて死んで以来、大生部はアル中に。妻の逸美は神経を病み、奇跡が売りの新興宗教にのめり込む。大生部は奇術師のミラクルと共に逸美の奪還を企てるが…。超能力・占い・宗教。現代の闇を抉る物語。まじりけなしの大エンターテイメント。日本推理作家協会賞受賞作。”(「BOOK」データベースより)
とあるように超能力・占い・宗教に焦点をあて、中島らもの持ってる知識を全部使った力作となっており一気に読めてしまいます(^^)
1994年にロックバンド「PISS」を再結成したり、2003年には「オランダで尻から煙が出るほど大麻を吸ってきた」と発言し、麻薬及び向精神薬取締法違反、大麻取締法違反で逮捕されてます。中島らもは持論の「大麻開放論」を展開しており、自らの獄中体験をつづったエッセイ『牢屋でやせるダイエット』を出版した時には、手錠姿でサイン会を開くなどしてました(^^;
中島らもの最後は2004年7月15日に神戸で行われたライブに参加し、その打ち上げの帰りに階段から転落して頭部を強打し、15時間に及ぶ手術を行ったが意識は戻らず、事前の本人の希望により人工呼吸器を停止し、7月26日に死去しました。
中島らもの人気作品
- 今夜、すべてのバーで
- ガダラの豚1、2、3
- 永遠(とわ)も半ばを過ぎて
- しりとりえっせい
- お父さんのバックドロップ
- 水に似た感情
- 頭の中がカユいんだ
- こどもの一生
- 白いメリーさん
- とらちゃん的日常
まだまだここにはかきれないくらいいい作品があるので気になる方はチェックしてみてくださいね(^^)