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木村清が作る「すしざんまい」の伝説 初競りから海賊撲滅まで!

木村清さんは、人気の寿司チェーン店「すしざんまい」の代表取締役です。

先日、その木村清さんが「ソマリアの海賊達を説得してマグロ漁の技術を伝え、保存や輸送ルートを整えて支援し、海賊を消滅させた」という記事が、SNSで広く拡散されました。

ですが「すしざんまい」を経営する株式会社喜代村によれば、実際にはソマリアの「海賊らしき人」への支援のみで、海賊消滅への貢献は確認できていない、といいます。噂の元になった「PRESIDENTオンライン」の記事も削除され、現在は終息していますが、あの社長ならやりかねない、と思わせるものがあってこその拡散だったのでしょう。

今回は、そんな木村清さんの足跡を辿ってみます。

名前のプロフィール

木村 清

木村 清
名前

木村 清

読み方

きむら きよし

生年月日 1952年4月19日
出身地 千葉県野田
居住地  ー
身長・体重  ー
血液型  ー
最終学歴 中央大学法学部通信教育課程
所属

株式会社喜代村

木村清の経歴

木村清さんは、千葉県野田市(旧関宿町)生まれです。

幼いころから頭が良くてピアノも弾けたといいますが、音痴なので歌は歌わせないほうがいい、なんて話も。自分で工夫してペットを飼ってみるなど、自主性に溢れた好奇心旺盛な子だったようです。

1967年に野田市立木間ヶ瀬中学校を卒業後、あこがれていたF104のパイロットを目指して、15歳で航空自衛隊航空教育隊航空自衛隊生徒第14期)に入隊。第4術科学校を卒業後、通信制高校を経て18歳で大検に合格し、憧れの操縦学生になる資格を得ます。

ですが、パイロットになる夢まであと一歩のところで事故に遭い、肝心の「眼」を負傷して断念。

お先真っ暗になりました。

けれど、こんなときこそ一心に打ち込めるものをと考え、一番挑戦しがいのあると思った司法試験合格をめざして勉強を始めました。

2009年4月 月刊『エマージング・カンパニー』誌

夢に破られてすぐ「挑戦」することを選んで立ち上がり、中央大学法学部通信教育課程に入学。そこから2年で択一式試験に受かりましたが、今度は学費が続かなくなり、今度はアルバイトに精を出さなくてはならなくなりました。

木村清は「職歴90」

稼げる仕事を探して職を転々とすることになった、木村清さんは、その中で、様々な経験をしていきます。

中でも特に印象に残っているのが、百科事典の訪問販売のアルバイト、とのこと。始めて1ヶ月半はまったく売れず、出来高制のため昼食のお金もなくなり公園で途方に暮れていた木村清さん。

売れない事典を一人で見ていると、遊んでいた子どもたちが覗きに来る。

子どもの質問にあれこれ答えていると、今度は子どもたちの母親がやって来た。

すると、面白くてためになるものならと、買ってくれる親が現れた。

それからだんだんと口コミで評判となって、今度は1ヶ月半で500巻以上も売れ、新記録を達成しました。

2009年4月 月刊『エマージング・カンパニー』誌

この時に、物を売ることの本質に気づいたのかもしれません。

様々な職を試した末に、1974年、大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社「新洋商事」に入社。当初は3か月のアルバイトで辞めるつもりだったということですが、ここで魚の仲買人になり、築地市場で多くの取引先を持つ中で、才能を見出されていきます。

木村清が「すしざんまい」を開店させるまで

この頃の木村清さんは、司法試験への挑戦は諦め、新洋商事で魚の仲買人として、魚の勉強をし、築地との付き合い方を身に着けようとしていました。

そんな中、2000年頃に築地場外の店舗オーナーから、

「築地が陳腐化してきた。場外の店がこのままでは廃れていくので何とか活性化できないか」

そう相談をもちかけられ、お前ならできるだろうと、一等地にあった35坪ほどの店を無条件で貸してもらえたとのこと。これが、現在のすしざんまいの本店になります。

1979年6月に新洋商事を退職し独立。喜代村の前身となる、木村商店を創業し、その後、築地の活性化を目指しながら、木村商店名義で、弁当屋、カラオケ店、レンタルビデオ店などを経営。これを会社化して、1985年に喜代村を設立。

バブル崩壊に伴って、一旦全ての事業を清算し、一時は手元に300万円と、築地時代(新洋商事時代)のコネしかない、という状態に陥りますが、そのコネを活用して、寿司店「喜よ寿司」を開店。2001年4月に築地場外に日本初の年中無休・24時間営業の寿司店「すしざんまい本店」を開店させました。

ちなみに、「すしざんまいの木村社長」と紹介されることが多いが、「すしざんまい」は喜代村が運営する寿司店の屋号であり、役職名としては「喜代村の木村社長」が正しいということです。

木村清の落札価格が話題「初競り」

この「すしざんまい」ですが、築地市場の初競り日(1月4日または5日)に、最高級のマグロを競り落とすことが恒例となっており、この落札価格が、その年の景気を反映する、なんてことも言われています。

この初競りで競り落とされたマグロは、「すしざんまい」全店で通常価格で提供されるのも恒例で、縁起物として初競りのマグロを食べたい人が、すしざんまいに行列を作るのも恒例。

これは、築地市場豊洲に移転して初めての初競りとなった2019年1月5日には、史上最高値となる1本3億3360万円で落札し、話題になった頃から続いているようです。
この初競りにおいて、落札したマグロの解体をパフォーマンスとして、木村清社長が自ら包丁を入れていますが、寿司職人ではないため、寿司自体は握れません。それでもこのショーは人気で、マグロの前で大きく両手を広げる写真は、木村清社長のプロフィールそのものになっています。

メディアへの登場頻度も高い木村清社長は、自ら「すしざんまい」の広告塔になりテレビCMにも出演していますね。

 

毎年お正月に、現職総理宅へ寿司の差し入れを行うのも恒例になっています。新総理にとっては初めての、自宅で「すしざんまい」。今頃楽しみにしているのかもしれませんね!

さて、来年はいくらでマグロを落札するのでしょう。今から楽しみです!

公式SNSアカウント

東京の寿司 マグロが自慢【すしざんまい】つきじ喜代村

つきじ喜代村「すしざんまい」公式 (@zanmai_man) | Twitter