自民党の新総裁に岸田文雄氏が選出され、4日の国会で第100代の総理大臣に就任する見通しとなっている裏で、ある大企業の完全子会社化をした、ある老舗が話題になっているのをご存知でしょうか。
サンフーズというよりも「ミツワソースの会社」と言った方が、ある地方の方には伝わりやすいかもしれません。
今回は、広島市のサンフーズ株式会社の前代表取締役・布崎正憲さんを紹介します。
布崎正憲のプロフィール
名前 |
布崎 正憲 |
---|---|
読み方 |
ぬのざき まさのり |
生年月日 | ー |
出身地 | 広島県広島市 |
居住地 | 同 |
身長・体重 | ー |
血液型 | ー |
最終学歴 | ー |
所属 |
サンフーズ株式会社 |
布崎正憲の「サンフーズ」が今、話題の理由は?
岸田文雄 @kishida230
帰宅すると、妻の裕子がお好み焼きを作ってくれていました。インスタライブで私が、「妻の作ってくれるお好み焼きが大好きです」と言っていたからです。いつも最高に美味しいけど、今日は、一生忘れられない美味しさでした。ありがとう。
これは総裁選直後の岸田総裁のツイートですが、添えられたお好み焼きの右上に写ったソースが話題になりました。
メーカーがわからないよう、裏側を向けたばかりに写りこんでしまったのは賞味期限。
総理!もしかしてソースはミツワソースのお好みソースですか?あとソースの賞味期限、切れてるっぽいですけど大丈夫でしょうか?!
PuANDA @shoichirosm
そんなツッコミが各方面から入り、ミツワソースの製造元であるサンフーズや、その株式を所有するブルドックソースが話題になっています。
サンフーズは創業100年を超える、広島県広島市の調味料専門の食品会社です。
看板商品はお好みソースをはじめ、冷蔵や冷凍のお好み焼きや食酢など。
主力商品は「ミツワお好みソース」で、地元の人には「ミツワソース」として親しまれています。広島の食の観光スポット「お好み村」の全店で使用されているほか、地域の特産品としても推される人気商品。
「お好み村」「ミツワソース」「ヒガシマル」の3ブランドを展開していますが、2019年にブルドックソースが全株式を取得し、同社の完全子会社となりました。
布崎正憲の経歴とサンフーズの変遷
お好み焼に関することは全て弊社の仕事として考え、冷蔵お好み焼の製造、お好み焼教室や海外でのお好み焼実演販売も実施しており、現在ミツワお好みソースは海外14カ国に輸出され、現地の皆様に御愛用頂いております。
(中國新聞デジタル2016/5/21)
布崎文雄前社長は、創業者から数えて五代目。
サンフーズの前身である食品会社は、大正13年、布崎文雄前社長の祖父が、ほか三人の協力者を得て創業しました。
その後、布崎文雄前社長のお父さんの代に継がれた後、大正5年に「中東商店」という酢の専門メーカーを創業。
その中東商品と、布崎文雄前社長のミツワソース株式会社が合併し、現在のサンフーズになったそうです。
ただ、その間に会社の場所が3回変わっており、その理由のひとつとして、昭和20年の、広島への原爆投下がありました。
「その時私どもの会社は、父の代ですよね、全部倒壊して全てが無くなったんですけど、まぁその後また、父親が、まぁ本来は銀行マンだったので、多分その頃からようやくまた仕事を、祖父の仕事を継ぐということでやっておりましたので、そこでは一旦やっぱり全ては無くなってますね、私どもの会社としては。」
(知恵の燈火 より)
お好み焼きは広島のソウルフードと言われる名物ですが、戦争によって何も無くなったところから人々が立ち上がっていく時、広島の人たちのお腹を満たしてきたものとして、常に一緒にあったもの。
「広島ではやっぱりなんか小麦粉がその時、自由に手に入ったそうですね。で、あとキャベツの…まぁ広島にはあったと。今逆にキャベツ足りないんですけど(笑)当時はキャベツあったらしいんですね。
だから、そこでそういうやっぱり一銭洋食を原型とするような、まぁ安い価格で市民のお腹を満たすようなそういったのが生まれてきたという風に聞いてますけどね。
(知恵の燈火 より)
そんなお好み焼きに欠かせないソースを作り続けたサンフーズ。
ただ、その開発には、広島ならではの問題があったそうで、その原型が作られていく過程を見ながら、布崎前社長は育っていったようです。
「まぁ、広島の場合ですね、もともとウスターソースが主流でした。で、ウスターソースは、お好みソースに使うには、ちょっと粘度って言いますかね、サラッとしてるソースなので、お好み焼きには向かない。お好み焼きにかけると全部中に染みこんでしまう。
それをどのようにしたらお好み焼きにいい味として皆さんに使って頂けるかというのは、業社、そういったお好み焼き屋をやってらっしゃる業社さんと私どもの意見交換ですね。色んなところでの意見交換。それから要望をこう聞いていくということで成り立ったソースですね。
で、昭和30年代の初めにはそういった原型が出来ておりましたね。」
(知恵の燈火 より)
「だから私が子どもの頃、よく父親が色々な工業試験場とかですね、そういったところで試作した商品をよく自宅に持って帰って、みんなで試食会を開いたりしてですね、色々あーだこーだ言ったのを覚えていますね。」
(知恵の燈火 より)
戦後の混乱の中、商品が出来上がっていく過程を見て育っていった布崎正憲前社長。
その子供時代の意見も今の商品に取り込まれているのでは?という質問に、
「そりゃ、あの当然ながら、お得意先様の意見が一番重要だったんですけどもね」
と笑って答える姿に、商品と顧客への真摯さを感じました。
布崎正憲前社長が携わる「お好み村」とは?
そんな布崎正憲前社長が携わったお好み焼きのテーマパーク、広島の「お好み村」。
新天地の様々なお店が寄り集まっている中から、立ち退き等で移動せざるをえなかった店舗を集めるのが目的のうちのひとつだったとのこと。
劇作家のきだみのるさんの、お好み焼きの屋台群があるのを見て「まるでお好み村だね」と言ったその言葉から名前を頂き、古田正三郎さんを村長に、平成4年に現在のビルの形で完成させたそうです。
そこにたくさんの店舗が入り、みんなでお好み焼きを盛り上げていく形は、ソースの名前にもなっている「ミツワ」の意味そのもの。
「創業した三人が一緒に仕事をした」
「商品を取り扱いする方、製造する方、末端のユーザー、その三者それぞれがミツワというブランドを使用している」
この名前を守りながら、これからも広島ということを看板に、広島名物であるお好み焼きに、いかに美味しい調味料を提供できるかを、五代かけて考えてやってきたという布崎文雄前社長。現在の武市雅之代表取締役に代替わりした後も、その情熱は受け継がれています。
100年続く企業の土台の強さを感じずにはいられませんでした。