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青野慶久が敗訴? サイボウズの社長が抱える訴訟とは

青野慶久(あおの よしひさ)さんは、多くの企業が導入しているグループウェアを販売している「サイボウズ」の代表取締役社長です。

働き方改革」や「夫婦別姓」についていち早く反応・導入し、社長自らが育児休暇を取得する、時代の先端よりも先を走る革命児。

今回は、その人物像に迫ってみたいと思います。

青野慶久のプロフィール

青野慶久(サイボウズ公式より)

青野慶久(サイボウズ公式より)
名前

 青野 慶久(戸籍名:西端 慶久)

読み方 あおの よしひさ(にしばた よしひさ) 
生年月日  1971年(昭和46年)6月26日
出身地 愛媛県今治市
居住地  ー
身長・体重  ー
血液型  ー
最終学歴  大阪大学
所属

 サイボウズ代表取締役社長

青野慶久の経歴

青野慶久さんは1971年、愛媛県今治市で生まれました。

愛媛県立今治西高等学校を経て大阪大学工学部に進学し、現在のパソコンの前身である「マイコン」のプログラムに没頭して、自らを「パソコン少年」と自称していたそうです。
大学の教授からは、
「実践的でマーケットに合ったものづくりをするように」
と指導されたそうで、これがその後のサイボウズを作る際のベースになっていきます。

青野慶久のサイボウズ立ち上げまで

大阪大学を卒業した後、松下電工に入社し、BA・セキュリティシステム事業部営業企画部に在籍した青野慶久さん。

在籍中は、そこで個人用パソコンの導入を推進し、システムインテグレーションの提案するなど、積極的に社の改革に臨みましたが、思うようには進まなかったといいます。

見切りをつけた青野慶久さんは1997年、大学時代の先輩と、松下電工時代の先輩を誘って、愛媛県松山市内の2DKのマンションの一室に、「サイボウズ」を設立。

社名は「電脳(cyber)」と「子供(bozu)」に由来するということで、パソコン少年をそのまま社名にした形になりました。

青野慶久さんは、徹底したマーケティングを行ってWebグループウエア市場を切り開き、「サイボウズ デヂエ(旧DBメーカー)」「サイボウズ ガルーン」など、新ビジネスを立ち上げ。事業企画室担当、海外事業担当などを経て、2005年に代表取締役社長に就任しました。

青野慶久はイクメン

青野慶久さんは、時代の先端をいく事業を起こしただけでなく、ワークライフバランスを大きく変えた人物としても有名です。

その最たるものが、トップ自らの育児休暇の取得です。

ですが、今でこそ「イクメン」としても有名な青野慶久さんも、最初から育児に積極的だったわけではありませんでした。

1人目のお子さんが生まれた時に取得した育児休暇は、2週間。時期的にも、育休というよりも夏休みという感じだったそうです。

せすがその後、2人目と3人目が生まれ、お子さん達の体が弱かったこともあり、育児に関わる機会が増え、徐々にイクメンに変わっていったということでした。

「子育ては最強の市場創造である」という持論を展開し、経営と育児を両立させ、自らが育児休暇を取る姿勢は、今でこそ一般的なものの当時は革新的であり、社員が育児休暇を取りやすくなる土台を作ったと、高く評価されました。

青野慶久の働き方改革

働き方についても革新的な青野慶久さん。

「均一化した、単一的な、一律的なもの」から、「多様な、柔軟性の高いもの」へのシフトをするべき、

「価値観も多様な方向に切り替えていくことが、働き方改革の本質」

働き方改革を進めることで、異なるモチベーションを引き出すことができる」

「残業時間を減らすなどのワークライフバランスの推進は、女性だけでなく男性も含めて日本全体が、本気で取り組まなければならない問題」
「100人いれば100通りの人事制度があっていい」

2019年4月に施行された「働き方改革」ですが、それよりも前からサイボウズは、時代の先駆けとして改革を行っていました。

その方法は、退職希望者から理由を詳しく聞いたこと。

「残業したくない」
「週3日しか働きたくない」
など、普通なら怠惰や我儘と受け止められかねない希望も取り入れて、在宅ワークを導入するなどの工夫を重ねた結果、離職率が下がって利益が上がり、サイボウズの拡大に繋がったといいます。

サイボウズはこの働き方改革において、「社員同士の相互尊重ができている」「有給休暇消化率70%以上」「月の残業20時間未満」などの功績を認められ、「内閣府文科省の外部アドバイザー」として任命されました。

青野慶久の夫婦別姓訴訟

そんな青野慶久さんが抱える、有名な訴訟。それが「夫婦別姓訴訟」です。

青野慶久さんは、青野姓で仕事はしているものの、戸籍上は奥様の姓の「西端」。

奥様と結婚が決まった際、奥様に

「私、名字を変えたくないんだけど」

と軽い感じで言われ、特に反対する理由もなかった為、

「いいやん。じゃあそうしようか」
と、2001年に結婚する際に妻の姓を選択し、戸籍上は「西端」、仕事上の通称を「青野」として用いることにしたそうです。

そのことから、選択的夫婦別姓制度導入について賛同の立場を取り、自身のブログで

「社長になり、本名で書かなければならない公式書類が増えたので、誤解されないように、最近は本名が西端であることを併記しております。

日本では夫婦別姓が認められておりませんので、婚姻届を出すときに、どちらかの姓に合わせなければなりません。

名字を変えるのはたいへんです。世の女性の苦しみがわかります。早く夫婦別姓が認められるようになることを期待しています。」

 と、姿勢をはっきりしています。

2018年1月、

「日本人と外国人との結婚では同姓か別姓かを選べるが、日本人同士の結婚だと選択できないのは「法の下の平等」を定めた日本国憲法に違反する」

として、日本国政府を提訴し、これが法律婚した男性による夫婦別姓訴訟として初めての訴訟になりましたが、今年2021年6月28日に敗訴。

この問題でも開拓者になっていくのだろうと思うと、今後の動静も気になりますね。

公式SNSアカウント

社長挨拶 | サイボウズ株式会社

青野慶久/aono@cybozu on Twitter