川嶋あい(かわしま あい)さんは、1000回の路上ライブを達成し「路上の天使」と呼ばれたシンガーソングライターです。
また、ご自身が児童養護施設で育てられたことから、同じ境遇の子供達に何かしてやりたいという思いで、発展途上国に100校の学校を建設することを目標に、チャリティー活動をしています。
そんな川嶋さんの経歴をめくってみると、多くの伝説を垣間見ることができました。
川嶋あいのプロフィール
名前 |
川嶋 あい |
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読み方 | かわしま あい |
生年月日 | 1986年2月21日 |
出身地 | 福岡市 早良区 |
居住地 | ー |
身長・体重 | ー cm /- kg |
血液型 | ー |
最終学歴 | クラーク記念国際高等学校 |
所属 |
川嶋あいの経歴
川嶋あいさんは、1986年2月に福岡市で生まれましたが、誕生前に父親は行方不明になっており、母親も産後に体調を崩した為、乳児院で育ちました。その後、母親は体調が回復しないまま、3歳の時に死別。
児童養護施設で育てられた後、建設会社を営む川島家の養子になりますが、そこでも10歳で養父、16歳で養母と死別しています。
ただ、川島家では、あいさんの極度の人見知りを改善させるためにと音楽教室に通わせてくれており、当初あいさんは、演歌歌手を志して、北島三郎、鳥羽一郎、山川豊などの公演の前座を務めるまでの実力を得ていました。
10歳でニューヨークのカーネギー・ホールの舞台に立ち、中学2年生の時には、『十六恋ごころ / あなたに片想い』で演歌歌手としてデビューもしています。残念ながらこの曲は売れずじまいでしたが、それでも作曲を経験する、良い機会になっていました。
2001年に、沖学園高等学校在学中に上京して堀越高等学校に入学しましたがその後クラーク記念国際高等学校へ転校。これが最終学歴のようですね。
川嶋あいの路上ライブ伝説
演歌歌手への道は断念したもののの、歌手になること自体は諦めておらず、川島さんは、2002年から路上ライブを東京・四谷で開始。これが、伝説の幕開けでした。
四谷から渋谷に、路上ライブの拠点を移したところ、その透明感のある歌声が学生に指示され、スタッフを買って出る学生も現れて、支援の輪が広がります。
2002年6月には、キーボード弾き語りのスタイルで、路上ライブを本格的に開始。15歳にして、3つの目標「自主制作CD手売り5,000枚」「路上ライブ1,000回」「渋谷公会堂でのワンマン・ライブ」を掲げました。
翌2003年5月には、路上でのCD手売り5,000枚の目標を達成。
2003年にI WiSHのボーカルとしてデビューし「明日への扉」がヒット。ソロでも「見えない翼」「My Love」などがヒットし、その歌声は「天使の歌声」と称され、若者の支持を受けました。
2003年8月20日にはm念願の渋谷公会堂でのライブを実現。このライブでI WiSHのヴォーカル aiであると告白します。
2004年12月、沖縄でのファンツアーで「47都道府県ライブ」を達成。
2005年3月に、ソロ活動に専念するためにI WiSHを解散した後も路上ライブは継続し、2005年3月30日、役3年かけての路上ライブ1,000回を達成しました。
この1000回目の路上ライブは「阪神大震災写真展」と絡め、自身のゆかりの地渋谷駅ハチ公前で行い、1000人以上を動員。その後一度だけ行ったものを最後に、路上ライブを終了。「路上の天使」の伝説を残しました。
川嶋あいのオリコンチャート記録
路上ライブでの目標達成と並行して、メジャーでも活動を行っていた川嶋さん。
2005年 シングル「絶望と希望」オリコンチャート9位。
2005年 フルアルバム「12個の歌」オリコンチャート5位。
2006年 新曲「My Love」フジテレビのバラエティー番組「あいのり」の主題歌.
2006年 シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠、globeのKEIKO、ROLLY、元JUDY AND MARYのベーシスト・恩田快人、韓国出身のシンガーSE7EN、元BOØWYのドラマー・高橋まこと、山田タマルとともに、THE AURIS (SUPER) BANDに参加し、「MY WAY」がTOYOTAの新型車AURIS(オーリス)のCMソングとして起用。
2007年 11thシングル「My Love」オリコンチャート初登場5位、インディーズ女性ソロ最高位。
2007年オリコン年間インディーズシングルランキング2位。
インディーズ出身の女性として、大記録を樹立し、多くの女性シンガーのカリスマとして君臨していきました。
川嶋あいのチャリティー活動
自身が児童養護施設で育ったこともあり、川島さんは、多くのチャリティー活動に参加しています。
2006年1月、 阪神・淡路大震災から11年を前に神戸市長田区にある大正筋商店街でライブ。ライブの前には、あしなが育英会が運営する震災遺児支援施設「レインボーハウス」を訪問し、自らのCD50枚を贈っています。
2006年3月には、阪神・淡路大震災で被害にあった中学校の卒業式でライブを開催。抽選には約1200通の応募がありました。
2006年8月26日 - 日本テレビのチャリティ番組『24時間テレビ』の名古屋会場に、事務所の後輩Miのミニライブの後、サプライズゲストとして登場。
このチャリティー活動は、渡米をきっかけに、更に拡大していきます。
川嶋あいのアメリカでの活躍
アメリカに語学留学した川嶋さんは、すぐに音楽活動にも取り組みました。
2009年4月、アメリカ合衆国ワシントンD.C.で行われた「全米桜祭り」最終日、メイン歌手として出演。これはアメリカ国務省関係者の出演依頼によるものでした。
2009年5月には、ニューヨークのブルックリン植物園で行われた音楽祭「桜祭り2009」に出演。
2009年5月の、ニューヨークのセントラル・パークにて行われた「Japan Day」では、イベントのテーマ・ソングが川嶋の楽曲「大丈夫だよ」であり、イベント告知期間中は、ニュー・ヨークのテレビ・メディアにて頻繁にオン・エアーされていました。
また、この訪米中に、発展途上国に学校を建設する活動について、タイムズ・スクエアにあるロイター通信社にてインタビューを受けており、2010年7月に、絵本つきCD「そらいろ〜Simple Treasure〜」を発売。
2008年のニューヨーク留学中に知り合ったタヒチ80やCHARAなどのプロデューサーであるアンディ・チェイスと意気投合した後は、川島さんのの世界各国への小学校建設など社会貢献活動に感銘を受け、同年8月に発売されていた「カケラ」をリメイク、ニューヨークにおいて世界共通語である英語でのレコーディングの話に繋がりました。
2010年10月 はイオン・ユニセフ セーフウォーターキャンペーンの開始に伴い、イオン1%クラブキャンペーン大使に任命され、ユニセフとのパイプも持ちます。
テレビで見たアフリカの貧困状況に胸を痛め、私財を投じて、2005年にエチオピアに児童養護施設した川嶋さん。
2006年に西アフリカのブルキナファソ、2008年にカンボジアの学校建設。
児童養護施設で育った自分と「同じ境遇の子に何かしてやりたい」との強い思いがあったということで、現在もチャリティー活動などを通し、発展途上国への学校建設に力を注いでおり、目標は100校建設することだそうです。
「賛否両論必ず付いてくるけど、それで何もしないのは、駄目だと思う」
「売名だと思われてもいい」
「偽善だと思われてもいい」
「何と思われようが、そこでひとりでもはげみに思ってくれる人がいればいい」
川嶋あいさん本人とスタッフにより「国際協力NGO アイ ラブ ワゴン」が設立・運営されており、これまでに、西アフリカのブルキナファソにサヤ小学校、カンボジアのバッタンバンにチュランクポー小学校、また2009年5月には西アフリカのリベリア、12月には東ティモールのドゥクライ村にレブドゥ小学校が開校、バングラデシュのバトパラCDC小学校へ新校舎とトイレ、井戸、校庭の遊具を建設。今後もカンボジア、中央アジアや中東へ学校を建設予定しているといいます。
川嶋あい 公式チャンネル等
歌うだけでは終わらない、支援の輪を広げていくシンガーソングライター。
川嶋さんの歌声が、どこまで届くか、見守っていきたいですね。