一山 麻緒(いちやま まお)さんは、ワコール所属の長距離走者です。
本日、2021年1月31日の大阪国際マラソンにおいて、大会記録である2時間21分11秒をマークして、見事優勝を果たしました。
顔も声も可愛くて、今日で一気にファンを増やした一山さんの出身地や経歴など、その人物像に迫ります!
一山麻緒のプロフィール
名前 |
一山 麻緒 |
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読み方 | いちやま まお |
生年月日 | 1997年5月29日 |
出身地 | 鹿児島県出水市 |
居住地 | ー |
身長・体重 | 158cm/43kg |
血液型 | - |
最終学歴 | 出水中央高校 |
所属 |
ワコール(永山忠幸コーチ) |
一山麻緒の経歴
一山麻緒の高校生までの競技生活
一山さんは、鹿児島県出水市の出身です。
陸上競技始めたきっかけは、出水市立西出水小学校5年生の時。「運動会で一等賞を取りたかったから」と、出水市陸上スポーツ少年団に入団したことがきっかけでした。
小学生が出場できる大会に積極的に出場し、出水市民駅伝に出場した際は、小学生の部で大会記録をマーク。当時から「出水に足が速い子がいる」と、噂になっていたそうです。
出水市立出水中学校に進学した後は、全国大会への出場こそ叶わなかったものの、中学校3年生の時に薩摩川内市で開催された記録会で、中学校3年女子800mと1,500mにおいて、大会記録を更新。
また、2013年に開催された、第10回ひとよし春風マラソン(2熊本県人吉市)女子3kmの部で1位になった記録があります。
2013年に出水中央高等学校へ進学し、陸上部でより専門的なトレーニングに励み、高校3年の時の全国高等学校総合体育大会(第68回全国高等学校陸上競技対抗大会/和歌山県)において、女子1,500mと3,000mに出場していずれも予選落ちした経験が、その後の選手生活で、一山さんを大きく成長させる経験として繋がっていきます。
一山麻緒の実業団時代
2016年に高校を卒業した一山さんは、ワコール(京都府京都市)に入社し、情報システム部基幹情報システム課社員として勤務しながら、実業団選手としてトレーニングを重ね、徐々に頭角を現してきます。
入社1年目に出場した、第36回全日本実業団対抗女子駅伝(宮城県)では1区(7km)で21分50秒の区間新記録を樹立。
翌2017年2月に開催された、第101回日本陸上競技選手権大会クロスカントリー競走シニア女子8kmの部では、木村友香さん、森田香織さんといった、名だたるランナーを抜き去って、26分46秒で初優勝を果たしました。
同年9月にアメリカのバージニア州で開催された、ロックンロール・バージニア・ビーチ・ハーフマラソンにでも、1時間13分49秒で優勝。世界大会も視野に入れていきます。
一山麻緒の東京五輪出場まで
2019年、東京マラソン2019で、初のフルマラソンに挑戦した一山さんは、冷雨の中でも2時間24分台のゴールタイムで女子総合7位になりましたが、わずか33秒差で、東京オリンピック代表決定戦となるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場資格取得を逃します。そこからが苦行でした。
僅か2ヶ月後のロンドンマラソンで、2時間27分台で女子総合15位。
同年7月の函館ハーフマラソンでは、自己記録である1時間8分49秒で優勝しましたが、東京オリンピック・女子マラソン選考会である、2019年9月のマラソングランドチャンピオンシップ本戦では、2時間32分台の6位という結果に終わってしまいました。
その後、2020年は1月の皇后盃第38回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会で、京都チームの最終9区アンカーとして出場し、1位で受けた襷を守り切って、3年ぶり17度目となる総合優勝。
同年2月の香川丸亀国際ハーフマラソンでは、高速レースを想定したレース運びを試したものの、終盤でペース落としてちて5位。
ですが、周囲が難しいと思っていた 東京オリンピック・女子マラソン日本代表最後の一枠を、日本歴代4位で日本選手の国内最高記録にして女子単独レースでの日本新記録となる、2時間20分29秒で走り切り、大会初優勝と東京オリンピック女子マラソン日本代表の座を勝ち取りました。
この日の一山さんの記録は、6月20日付でアジア陸上競技連盟よりマラソン競技女子単独レースのアジア記録としても認定され、負けの味を知るランナーの底力を見せつけました。
一山麻緒の大阪国際女子マラソン大会記録
そして本日2021年1月31、大阪国際女子マラソン(長居公園周回コース=42.195キロ)42・195キロ)。今回は、大会史上初の周回コースで行われることになりましたが、一山さんにとって、日本記録をかけた大切な大会。
目指していたのは、野口みずきさんが持つ2時間19分12秒の日本記録でしたが、市山さんのタイムは2時間21分10秒。これは大会新記録ではありましたが、目標としていた日本記録更新には、わずかに届きませんでした。
「日本記録、それだけのために練習してきたので、今は悔しいですね。本当は日本記録を出したかった。
力不足で達成できなくて楽しみにしてくれた方には申し訳ないけど、開催して下さってありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです」
(BIGLOBEニュース 2021年1月31日より)
口惜しさを隠し切れないコメントでしたが、この新型コロナ禍の中、大会開催に尽力してくれた関係者への感謝の言葉も忘れず、人柄のにじみ出ていたコメントでした。
「今自分がこのくらいでしか走れないと分かったので、もっともっと強くなれるように頑張りたいです。
堂々と五輪のスタートラインに立てるように、これからも頑張っていきます」
開催が危ぶまれていても、出走が叶った時の為に、万全を尽くして備えておく。
一山さんをはじめ、多くのアスリートの方がそうであると思うと、なんとか東京五輪を…と思ってしまいますね。
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