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稲川貴大と堀江貴文の関係は? ホリエモンロケット開発社長の経歴とは

稲川貴大氏は、民間企業初の小型ロケット打ち上げに成功した、『インターステラテクノロジズ』の代表取締役社長です。

堀江貴文氏が出資した、通称「ホリエモンロケット」の開発のリーダーとしても有名な、若き実業家。

そんな稲川氏のプロフィールや人物像について、紹介します。

稲川貴大のプロフィール

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稲川貴大 www.owndaysより

 

名前

 稲川貴大

読み方  いながわ たかひろ
生年月日 1987年2月28日
出身地  埼玉県越谷市
身長・体重 - cm/- kg
血液型 - 型
所属

 インターステラテクノロジズ株式会社

 

稲川貴大の経歴

稲川氏は、埼玉県越谷市の出身です。

2005年に、県内屈指の進学校でsる埼玉県立浦和高等学校を卒業。

東大や京大に次ぐ偏差値で知られる東京工業大学工学部制御システム工学科に入学し、大学在学中は、鳥人間コンテスト選手権大会に出場するため、機体の設計を行っていました。

モノ作りに興味があって飛ぶものは面白いなと思っていました。

大学時代に「鳥人間コンテスト選手権」があったので、これに応募して参加しました。自分で設計図面を書いていたので、これで知識やノウハウを蓄積することができました。「鳥人間」はやり尽くしたので、次に何をやろうかと考えていたら、当時、人の身長くらいの大きさのロケットを作るのが学生の間で流行っていました。

(2019年7月8日 ITmediaビジネス #SIFT インタビューより)

その後はハイブリッドロケットの打ち上げサークルを設立するなど、当時から航空や宇宙科学技術に興味を持ち実践をしていました。

ここで分かったことは、それまでは「宇宙開発というと、何かスーパーマンがやるような特別な世界のことだ」と思っていたのですが、実は大学生であっても、ある程度のことまではできるということを体験して、宇宙というものへのハードルが低くなり、大きな衝撃を受けました。

(2019年7月8日 ITmediaビジネス #SIFT インタビューより)

大学卒業後の2013年には東京工業大学大学院機械物理工学専攻も修了し、ニコンへの就職が決まっていましたが、ここで運命の出会いがあります。

稲川貴大と堀江貴文の出会い

2013年3月。ロケット開発に興味を持っていながら、そちらの業界には就職ができず、大手カメラメーカーのニコンに就職が決まっていた稲川さん。

ですが、入社式の3日前に、長野刑務所から出所してきた仮釈放中だった堀江氏が、稲川氏をヘッドハンティングしに来ます。

堀江氏が手掛けたロケット「ひなまつり」に関わっていた稲川氏の働きを見て、引き抜くことを決めたという堀江氏。

当時堀江氏は、漫画家のあさりよしとお氏やSF作家の笹本祐一氏、ジャーナリストの松浦晋也氏などと共に、有志のロケット作り集団「なつのロケット団」で活動しており、そのまま堀江氏がスポンサーになる形で、2003年にSNS株式会社という会社を設立。

その後、エンジニアたちだけを集めて、インターステラテクノロジズという子会社を2013年に設立していました。

そしてそこに、その働きを見て早くから目をつけていた稲川氏を招いた、ということですね。
「うちでロケットやればいいじゃん」
そんな言葉に、稲川氏は内定を辞退して、インターステラテクノロジズに入社。

ライブドア事件のことは知っていましたが、堀江さんがどういう人なのかはあまりよく知りませんでした。しかし、堀江さんの皆を引っ張る力はすごくて、仕事場に彼がいるといないとでは駆動力が全く違うのです。「この人がいると前に進むな」と思い、ミーティングに参加した次の日に入社を決めました。

(2019年7月8日 ITmediaビジネス #SIFT インタビューより)

翌2014年には、同社の代表取締役に就任し、MOMOの開発などを進めることになり、二人三脚での宇宙への旅が始まりました。

稲川貴大を成長させた二度の失敗

インターステラテクノロジズ社で作られたロケットは、最初の2回は打ち上げに失敗しています。

2017年7月に打ち上げられた1号機「MOMO」は、打ち上げ自体は成功したものの、高度が出ず十数キロまでしか到達できず。

翌2018年6月に打ち上げられた2号機は、直後に落下し炎上。

MOMO2号機の打ち上げ失敗で機体が2つに割れているのを見たときはショックで、さすがに胸に来るものがありました。

そんな時は、ありたい未来を見ます。遠くを見る。

そう考える自分が作るべき未来があったので、「この失敗は途中経過だ」と思い、目の前の出来事よりも、もう少し先のあるべき姿を見ることを、常に意識するようにしていました。

(2019年7月8日 ITmediaビジネス #SIFT インタビューより)

打ち上げ失敗の原因が、姿勢制御部のサブエンジンの故障であることを突き止め、次なる3号機に向けての製作に向かい、とうとう打ち上げ成功。

皆が手のひらを返して褒め称え、世界がこれほど変わるものかと驚いたといいます。

成功したという実績の有無で、周りが大きく変わるのは、なんとも皮肉なものですね。 

稲川貴大の恋人は?結婚は?

そんな稲川氏ですが、恋人や結婚の情報はありませんでした。

巷では、アメリカのスペースX社が、日本の宇宙飛行士・野口総一さんを乗せた「クルードラゴン」の打ち上げ日を決めたばかり。今は女性には目が向かないのかもしれません。

 

次はどんな夢を見せてくれるのか、まずはそれを待ちましょう。