神田正輝さんはそのダンディーな外見と演技力で、現在もドラマや舞台などで活躍されている俳優さんです。
歌手の松田聖子さんと結婚し、離婚したことでも有名ですよね。
今回は、そんな神田正輝さんのプロフィールと、元妻である松田聖子さん、そして娘の神田沙也加との関係などについても紹介します。
神田正輝さんのプロフィール
名前 | |
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読み方 | かんだ まさき |
生年月日 | 1950年12月21日 |
出身地 | 東京都港区 |
職業 | 俳優・タレント |
身長 | 178cm |
所属 |
神田正輝さんの経歴
神田正輝さんは、東京都出身で、血液型はA型です。
身長は178cmで、高身長!
母親は舞台女優だった旭輝子さんです。
出身高校は神奈川県日本大学高校で、現在の偏差値は66です。
当時は日本体育大学高校は私立の男子校となっていました。
小学校は港区立赤坂小学校を卒業しており、出身中学校はなぜか不明となっています。
中学生の頃はバスケットボール部と陸上部を掛け持ちしていたようです。
1973年に石原裕次郎に声をかけられたことがきっかけで、石原プロモーションに入社を果たしており、26歳の時に日本テレビ系列「大都会 闘いの日々」にて新聞記者役として俳優デビュー、その後いろいろなドラマや映画に出演しています。
松田聖子との結婚から離婚
1983年神田正輝さんが35歳のとき、映画の共演がきっかけが出会った松田聖子さんと結婚しました。当時、神田正輝さんは俳優として、松田聖子さんはアイドルとして人気だった2人の結婚は、大ニュースとなりました。
結婚の翌年に2人の間には、女の子が生まれます。それが現在、女優や歌手として活躍している神田沙也加さんです。
結婚から12年、神田正輝さんと松田聖子さんは離婚してしまいました。
離婚後の関係は?
娘である神田沙也加さんが結婚した際、神田沙也加さんと神田沙也加さんの旦那さんと、神田正輝さんの3人で写る写真をインスタグラムで公開しています。
離婚後も神田正輝さんと娘の沙也加さんは、とても仲が良いようです!
神田正輝の活躍や有名作品について紹介
神田正輝の活躍や有名な作品について紹介していきます。
神田正輝は1973年に石原プロモーションに入って後に1976年のテレビドラマ「大都会 闘いの日々」で俳優デビューを果たしました。
この作品で俳優として実力を出した神田正輝は後に「ゆうひが丘の総理大臣」や「俺たちは天使だ!」などの連続ドラマの出演で人気が上昇していきました。
1980年に出演した「太陽にほえろ」ではドック刑事役が当たり役となり、神田正輝の知名度を一気に全国に知らしめました。
1985年の「カリブ・愛のシンフォニー」で映画初出演を飾っています。
神田正輝の今の活躍は
神田正輝の最近の活躍としては、ドラマでサスペンスの女王として知られる片平なぎさが主演として務めるサスペンスドラマにフィアンセ役として出演しました。
フジテレビ系の「赤い霊柩車」シリーズで役2年半ぶりの最新作となり、親子の絆と祇園のおきての2つがテーマとなっていました。
ここでドラマの役者として活躍をしています。
また、TBS連続ドラマの「下町ロケット」の新シリーズに帝国重工の時期候補の的場俊一役で出演しました。このTBSの連続ドラマで役を演じるのは、15年ぶりのことでした。
この前までに出演していたドラマでは、「渡る世間は鬼ばかり」に出演していました。
このような活躍があります。
神田正輝はヅラなの?
神田正輝と検索するとサジェストに「ヅラ」と出てきます。
世間では、神田正輝さんがカツラなのでは?!と噂されているようです。
インターネット上では、神田正輝さんのハゲた写真やTV番組のフレンドパークでカツラが取れたなどの情報が出回っていますが、かなり信憑性の薄い情報です。
個人的には、神田正輝さんがたとえハゲていてもイケメンだと思います。ダンディでうらやましい!